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山口地方裁判所 昭和39年(ヨ)84号 判決 1966年5月16日

債権者 栗原典子

債務者 日本赤十字社

主文

債務者は債権者を債務者の雇傭する従業員として取扱い、かつ昭和四一年五月一六日から毎月末日限り金一万七、二〇〇円ずつを仮に支払え。

債権者のその余の申請を却下する。

申請費用はこれを三分し、その一を債権者の負担とし、その余を債務者の負担とする。

(注、無保証)

事実

(当事者の申立)

一  債権者の申立

「債務者は債権者を債務者の雇傭する従業員として取扱い、かつ昭和三九年一一月一日から毎月末日限り一万七、二〇〇円ずつを仮に支払え。申請費用は債務者の負担とする。」との判決

二  債務者の申立

「債権者の申請を却下する。申請費用は債権者の負担とする。」旨の判決

(当事者の主張)

一  債権者の申請理由

(一)  債務者は日本赤十字社法に基ずく法人で山口赤十字病院を経営しているものであり、債権者は昭和三四年三月から債務者に雇傭され、同病院の看護婦として勤務していたものであり、かつ同病院の従業員で組織されている山口日赤労働組合の組合員である。

(二)  債権者は昭和三六年七月二四日から急性多発性関節ロイマチスにより同病院に入院加療していたが(その間熊本市民病院に一時転院)、山口赤十字病院従業員就業規則第五〇条第一号の「病気(公症を除く)欠勤六ケ月以上におよび尚勤務に堪へないときは従業員を休職とする。」旨の規定により昭和三七年一月二一日休職となり、昭和三八年一月二一日その症状が軽快したので、復職したが、同年四月再発により山口赤十字病院に入院し、同年一〇月二六日前記就業規則の条項により再び休職となつた。

(三)  債権者は昭和三九年八月二三日軽快して右病院を退院し、同月三一日債務者に対し主治医作成の「症状軽快し中等度の労働可能と考える。」との診断書を添えて復職願を提出した。ところが債務者は、同年九月二一日債権者に対し同人の復職を認めない旨通知し、同年一〇月二六日前記就業規則第五一条の「休職期間は満一年とする。休職期間が満了したときは自然退職とする。」との規定による休職期間の一ケ年が経過したとして債権者を自然退職と取扱い、債務者の従業員としての地位を認めない。

(四)  しかし債務者の債権者に対する休職の命令は、債権者の病状が復職可能な程度に恢復した場合は復職させ、また復職できない病状であれば解雇するとの条件付意思表示と解すべきであるから、前記就業規則第五〇条第一号、第五一条の規定の趣旨からしてその休職の原因となつた疾患が勤務に堪え得る程度に軽快した時は当然復職させなければならないと解すべきである。債権者は前記復職願提出当時看護婦として要求される労働は充分可能な身体的状況にあつたから、債務者は債権者を休職期間が満了したものとして自然退職扱いにすることはできないというべく、債務者の前記復職を認めない措置は前記就業規則に違反するもので、債権者は前記条件の成就により債務者の従業員としての地位を有する。

(五)  債権者は昭和三五年ごろから山口日赤労働組合の一組合員として昭和三六年四月から同年七月までは書記長として積極的に組合活動をなし、昭和三九年七月には同組合員中の同好者をもつて歌ごえサークルを組織し、また日本民主青年団員として活溌に活動していたので、債務者は債権者を復職させた場合組合活動を活溌にすることを予想し、復職させなかつたものであるから債務者の債権者に対する自然退職扱いは債務者の不当労働行為の意思によるものというべく、しかも前記再度の休職を命じた当初から復職を認めないという不当労働行為の意思を有していたものであるから、前記条件付解雇の意思表示(休職命令)は無効であつて、債権者は債務者の従業員としての地位を有する。

(六)  債権者は昭和三八年一〇月二六日の休職当時債務者から毎月末日かぎり月額金一万七、二〇〇円の俸給を得ていたが、俸給生活者として他に収入の途なく生活に窮するので、債務者に対し債権者を債務者の雇傭する従業員として取扱い、かつ債務者が債権者を退職扱いにするに至つた後である昭和三九年一一月一日から毎月末日限り一万七、二〇〇円の賃金を仮に支払うことを求める。

二  債務者の答弁

(一)  債権者の申請理由中第一ないし第三項の事実は認めるが、その余は争う。

(二)  債務者が債権者が主張するようにその復職を認めず自然退職させたのは前記就業規則にもとずく正当な措置である。すなわち債権者は昭和三八年一月一八日復職を願い出、債務者の温情による特別の計いで、復職を認められたが、同年四月一五日からまた病気のため欠勤しはじめ、同月二五日までは年次有給休暇を、同月二六日以後は病気欠勤の手続をとり、同年一〇月二六日再び休職を命ぜられ、前記復職後病気再発まで約三ケ月間に終日勤務したのは四八日に過ぎない。債務者は昭和三九年八月三一日債権者から再度復職の願い出を受けたが、山口赤十字病院における衛生管理者の意見により同年九月三日同病院復職審議会を開き協議した結果債権者の病気は再発の虞の多い膠原病であつて、現に復職後間もなく再発していることに鑑み、当時一応の軽快を見てはいるものの、看護婦として一人前の労働は不可能であり、特に日本赤十字社の看護婦は救護員として働くことを義務ずけられて居り同人の健康状態では到底救護要員たり得ないとの結論に達したので、債権者に復職を命じないこととし同病院人事委員会もこれに賛成したのである。なお右の問題について債務者と日赤山口病院労働組合との間で同年一〇月一三日労働協議会が開かれたが、その後同組合長は同病院長に対し債務者の右措置をやむをえないものと認めると述べている。しかも山口赤十字病院の経営は赤字続きで合理化と経費節約の必要に迫られ、債権者に復職を命ずることは不可能の状態にある。

(三)  債権者は債務者の前記退職扱いをもつて不当労働行為と主張する。しかし債権者が昭和三六年四月から同年七月までの間三ケ月山口日赤労働組合の書記長の職にあつたことは認めるが、その在職期間は短期間で特にその間活溌に組合活動をしたことはないから、前記退職扱いは右組合活動とは関係なく、債権者と民主青年同盟、歌ごえサークルとの関係は債務者の関知しないところである。

(四)  債権者の家庭は中流で、その父親の給与の外その母親の営業収入があり、債権者も他に収入を得ており、仮処分の必要性はない。

(証拠省略)

理由

一  債務者は日本赤十字社法に基ずく法人で山口赤十字病院を経営しているものであり、債権者は昭和三四年三月から債務者に雇傭され右病院の看護婦として勤務していたものであつたこと、債権者は昭和三六年七月二四日から急性多発性関節ロイマチスにより前記病院に入院加療していたが(その間熊本市民病院に一時転院)、昭和三七年一月二一日債権者主張の山口赤十字病院従業員就業規則第五〇条第一号の規定により休職になり、昭和三八年一月二一日頃その症状が軽快したので、復職したこと、しかるに、同年四月再発して山口赤十字病院に入院し、同年一〇月二六日前記就業規則の条項により再び休職、昭和三九年八月二三日軽快して退院し、同月三一日債務者に対し主治医作成の「症状軽快し中等度の労働可能と考える」との診断書を添えて復職願を提出したところ、同年九月二一日債務者から復職を認めない旨の通知をうけ、同年一〇月二六日債権者主張の前記就業規則第五一条の規定により休職期間の一ケ年が経過したものとして自然退職の取扱をうけるに至つたことは当事者間に争いがない。

二  そこで債務者の右復職を認めなかつた措置が前記就業規則の適用を誤まつた違法なものであるか否かについて考えるに

(一)  成立に争いがない疎乙第四、五号証、証人境谷政助の証言およびこれにより成立の認められる同第三号証によれば、債権者は山口赤十字病院医師岩永崇の「膠原病により現在なお加療中であるが軽作業を行いながら治療を続行する必要がある。」との診断により昭和三八年一月二一日頃復職したが、同年四月一五日から病気欠勤を始め(初めは有給休暇の形式)、その間終日勤務したのは四九日半日勤務したのは一二日であることが一応認められる。

(二)  成立に争いがない疎甲第五号証、疎乙第七号証、証人福岡善平、同阿武寿人、同立花武比古の各証言によれば、債権者の右病気は膠原病であり、膠原病は関節リユウマチ等全身の結合組織を侵す病気の総称で一般に完全に治癒することは困難な病気とされて居り債権者の場合も純然たるリユウマチと断言できない要素もあつたこと、債権者は昭和三九年八月末ごろ症状軽快し筋肉労働をあまり多くしない程度の中等度の労働可能の状態にあつて、その旨の同病院主治医福岡善平の診断書を添え再度の復職を願い出たものであるが、病気の性質上将来の再発増悪の可能性の有無、程度は当時としては確定的に予測できなかつたことが一応認められる。

(三)  成立に争いがない疎乙第九号証、証人境谷政助の証言およびこれにより成立の認められる同第八号証、第一一号証、証人立花武比古、同阿武寿人の各証言によれば、債務者は右復職願を受理した後同病院の衛生管理者立花武比古の申出により院長、副院長、部長である医師三名(衛生管理者を含む)、事務部長からなる右病院復職審議会をもうけ同年九月三日同審議会を開き、債権者の復職について協議した結果(1)債権者の病気は膠原病でその性質上難治、予後不良のものであること(2)債権者は復職しても通常の看護婦業務に服し得ないこと(3)復職後少くとも二ケ年は病気再発の虞がない場合にのみ復職を認めるべきであり、債権者には右再発の虞があるからこれを認めない旨を決議したこと、債務者は同年九月一八日病院側四名従業員側四名からなる同病院人事委員会を開きその議を経て右復職を認めないことを決定したが、席上従業員側の委員はこの問題について何らの異議をさしはさまなかつたことが一応認められる。

(四)  しかし、証人松井準子の証言、債権者本人尋問の結果によれば、債権者は右病気再発入院後昭和三九年六月ごろからは午前五時三〇分ごろ起床して寝室、風呂場の掃除、洗濯場の手伝、自転車乗りなどのトレーニングをなし、同年七、八月ごろは診療を受けるための時間以外はほとんど一日中右トレーニングをしていたこと、同年八月二四日退院以後前記休職期間満了までの間通常人と同様の生活をし、服薬もせず自覚症状もなかつたことが一応認められる。

(五)  債権者本人尋問の結果およびこれにより成立の認められる疎甲第一四号証、証人境谷政助の証言により成立の認められる疎乙第二五号証、証人上妻隆栄の証言によれば、債権者は前記休職期間満了後同年一一月一一日から同年一二月二四日まで小郡の野津医院に看護婦として一日五時間勤務し、昭和四〇年一月からは日中友好協会書記として勤務して、雑誌の配達等の外回りの勤務の多い業務に従事してきたが、右休職期間満了後も自覚症状は全くなく、日中友好協会勤務中欠勤したのは一日のみで健康状態は良好であり、同年六月二五日の医師の診断によるも諸関節に異常なく、検査の結果からも就労可能とのことであつたことが一応認められる。

(六)  証人松井準子の証言によれば、山口赤十字病院の看護婦の仕事はかなり激しいものであるが、外来皮膚科など比較的仕事の楽な部門もあることが認められる。

三  前記就業規則第五〇条第一号、第五一条によると公症による場合を除き病気欠勤六ケ月以上に及びなお勤務に堪えないとして休職を命ぜられた従業員につき満一ケ年の休職期間が満了したときは結核性疾患による場合を除き自然退職とすると定められており、同規則第六七条によると就業すると病気昂進の虞がある者、病気の回復が充分でない者その他従業員の衛生上就業を不適当と認める者については就業させないことに定められていることが認められるが、そもそも休職処分は当該従業員に職務に従事することが適当でない事由が生じた場合に右事由の継続する間一時従業員の地位を保有せしめながらその執務を禁ずる処分であるから休職期間満了による自然退職の措置は休職事由の存続を前提としてのみ有効にとり得るものであることは休職処分の性格上疑を容れないところである。従つて病気休職中の債務者の従業員が勤務可能な状態にまで回復した場合債務者は右従業員の復職願を容れてこれを復職させなければならないと解すべきであつて、その理は休職終了の事由として休職事由の消滅が明文化されている場合(国家公務員法第八〇条第三項)と否とにかかわりはない。ただこの点の明確な定めを欠く本件の場合一応債権者の病状回復の程度は債務者側の判定に委ねられ、その認定をまつて始めて復職が許されるものと解するほかはないけれども、その認定は債権者の客観的健康状態即ち休職事由の存続、消滅についての確認的なものであり、債務者の恣意を許すものであつてはならないのであつて、もし債務者が復職可能性についての判定を誤まり客観的に当然復職可能の状態にあるとみられる従業員の復職を拒否した場合は右復職拒否の措置は違法であり当然復職し得べかりし時即ち復職許可の通知を受けるべかりし時債権者は当然復職したものとみなさるべきものである。しかして復職可能の判定は復職願提出当時における当該従業員の健康状態が勤務に堪え得る状態にあるかどうかの事実認定のほかさらに予後の病気再発の可能性の有無、程度の評価の双方にわたりなさるべきであろうけれども、いやしくも就労可能の現状にあるならばたとえ将来の再発の点の確実な予測までは困難であつたにせよ、一応はその蓋然性を否定し得るかぎり休職事由の消滅を認めて復職を許すのが相当であると解せられるところ、前記二の(二)、(四)で認定した債権者の健康状態からみると当分の間比較的筋肉労働の少い勤務配置に就かせるなどの配慮が加えられる限り債権者は右復職願提出当時右病院の看護婦として勤務することが十分可能な状態にあつたものと考えられ前記休職期間満了後の債権者の健康状態からみても爾後の再発の可能性は必ずしも高くなかつたものと推認できる。もつとも債権者は前にも一旦復職後まもなく病気再発し休職となつており予後の判定困難な膠原病の性質上債務者が病気再発休職となることを虞れたことはある程度無理からぬものがあつたとも考えられるのであるが成立に争いがない疎甲第三号証によれば、前記就業規則第五四条には「精神または身体の障害によつて服務に堪えないと認めたときは三〇日以前に予告をなすかまたは三〇日分の賃金を支給して従業員を解雇することがある。」旨の規定があることが認められ、債務者は債権者が復職後再び病気再発し欠勤を続けた場合には右の規定により債権者を解雇することも可能であり、また再度の復職に当つては予後の病状につき右の規定を厳格に適用することを特に条件とすることもできた筈であるから、債権者が現実に勤務に堪える程度に回復して居り、将来の再発増悪の見込みについて適確にこれを予見できないとはいえ、そのまゝ再発をみずに終る可能性も十分見込まれた以上、一応は試験的にでも再度の復職を許すのが相当な措置であつたと思料せられる。

なお成立に争いのない疎乙第二〇号証、証人境谷政助の証言及びこれによりその成立の認められる同第一八、一九号証によれば、日本赤十字社が養成した看護婦は戦時事変や非常災害の場合に備えて救護員として登録されていることが認められ債務者は債権者が右の勤務につくことができないことを債権者の復職拒否の一つの理由としているが証人松井準子の証言によれば、右病院の看護婦が救護員となる場合は稀であることが一応認められるから、右の主張は復職拒否の充分な理由とはなし得ない。そうすると、債権者の復職を認めなかつた債務者の前記処置は畢竟復職許否の判定を誤り、就業規則を違法に適用したものというべきであるから、前記休職期間満了により債権者の解雇(自然退職)はその余の債権者の主張について判断するまでもなく効力を生ずるに由なく、債権者は復職の要件を満たすか否かを審査するに必要な日時を考慮してもおそくも債務者が右復職を認めない旨の通知をした昭和三九年九月二一日までに復職し、債務者の従業員としての地位を有するものというべきであり、前出疎乙第一八ないし二〇号証、証人境谷政助の証言によれば、同病院の経営が当時赤字であつたことが認められるが、未だこれを以て、復職拒否の理由となし得る程の疎明とはなし難い。

四  成立に争いがない疎甲第八号証によれば、債権者の前記休職期間満了当時の俸給は月額一万七、二〇〇円であることが一応認められるところ、証人上妻隆栄の証言及び債権者本人尋問の結果によれば、債権者は前記休職期間満了後個人経営の野津医院の看護婦として一日五〇〇円の給与を得、その後日中友好協会の書記としてアルバイトを含め一ケ月一万円程度の収入を得て現在まで生活を維持してきたことが認められるから債権者の申立のうち昭和三九年一一月一日から昭和四一年五月一六日まで一ケ月一万七、二〇〇円の仮の支払を求める部分はその必要性を認め難く却下を免れないけれども、山口赤十字病院の看護婦としての地位、収入に較べるといずれも不安定且つ低収入であり、現在までに友人から相当の借金もしている模様であるから、債権者の本件仮処分申請中債務者に対し債権者を債務者の従業員として取扱うことを求める部分および本判決言渡の日である昭和四一年五月一六日から前記休職期間満了当時の俸給月額一万七、二〇〇円を毎月末日限り支払を求める部分はその必要性があるものとしてこれを認容すべきである(債務者主張の債権者の実家の収入の点は本件仮処分の必要性に直接の影響がない。)。

よつて申請費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岡村旦 鈴木醇一 竹重誠夫)

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